裁判員制度への参加を渋る人の無責任さ [時事・ニュース]
しかし、その番組や記事の内容は、大多数の人が参加を渋っているという内容。
理由は、「人を裁くなんて責任が重過ぎる」「死刑を告げるなんて荷が重い」「素人が裁けるわけない」などなど。
ふーん、て感じだ。
僕のこの「ふーん」は、けっこう白い目で見ている「ふーん」だ。
だって本村さんの事件を皆さん覚えている?
母子殺害事件で、被告がドラえもんだなんだと奇妙な発言をして、弁護団がズラリを並んで、死刑にすべきだなんだとテレビも新聞も大騒ぎした事件だよ。
あの時、皆どう思った?
あの事件について書かれたブログを山ほど読んだけど、どの人も少年を許せないって言ってた。
大阪府知事の橋本さんも、番組で懲戒請求を呼びかけて裁判沙汰になってるし。
本音を言えば、あの時、少年を死刑にすべきだと思った人はどれくらいいるだろう?
ちなみに僕は死刑にすべきだと思ったよ。
つまりこれは、無責任の表れではないか?
みんな外野ではあーだこーだと評論家ぶって言いたいこと言うクセに、いざ自分がプレーする側になろうとすると、嫌がるのだ。
勝手なヤツばかりだ。
僕は裁判員制度大賛成。
ぜひ参加したい。
本村さんの事件みたいな、ああいう事件を許せない。
それからこんな事件を覚えているか?
飲酒運転で人を殺たヤツ。
飲酒運転での事故でも、たかが交通事故。過失致死。たいした罪にならない。
・・・が、残された遺族にしてみれば、殺人だ。
殺人罪を適用して欲しい。
でもそうはならない。軽い罪だ。
裁判になっれも過去の判例とやらも邪魔をする。
そういうときに裁判員制度だったら?
過去の判例は、参考にはなるけれど、民意を反映するなら、もっと重い罪になるのでは?
だから僕は裁判員制度大賛成。
ぜひ参加したい。
日々、通知が来るのを待っている今日この頃です。
子供好きをアピールする女を嫌いな理由 [育児]
だから、それを知ってか知らずか、よく女の子は「子供可愛い」「私、子供大好きなの」と笑顔で男にアピールする。
しかしそれは何の下心もないはずも無く、そう言えば、男がその女の子に対するポイントを何点か積上げてくれるのをわかってのことだ。
でなければ、イチイチそんな自分の好きなものを声を大にして言う必要はないだろう。
だって「私、イチゴ大好物なの」という時は、「そうかイチゴが好きなのか、ほんだらデザートはイチゴにしよう」とか「お土産はイチゴにしよう」とか「イチゴのパンツをプレゼントしよう」とか、何らかのアクションを期待して発言するのだろう?
違うか?
それともただ「私のことを知って欲しい」というただそれだけの理由で発言するのか?
もちろん、中にはそういうケースもあるだろうが、その%は少ないと決め付けて、話を前に進めよう。
えー、つまり女の子が口にする「子供好き」は、アピールなのだ。
自分を良く思ってもらおうというアピールだ。
合コンや知り合って間もない関係とか、最初のデートなどで出る発言は、特にそうだ。
で、男は「いい子だな」とポイントを積上げるわけだが、ハッキリここで言っておく!
ズバリ、子を持つ親には、「子供可愛い、私、子供好きなの」発言を自ら言う女は、嫌われる!
今回は、自分が親になって変わったこの気持ちについて言いたいわけだが、理由を以下に記そう。
子を持つ親は、子供の可愛さは十分わかっているけれど、子供は可愛いだけでなく、その裏にある苦労をセットで理解している。
子を持つ親の「子供は可愛い」と、その辺の女の「子供は可愛い」は、重みが全然違う。
ミルクを飲まない、食べない、泣き止まない、言っても聞かない、散らかす、こぼす、ひっくり返す、病気で会社に行けない、ゆっくりお茶もできない、遊びに行けない、飲みに行けない、旅行も行けない、などなど。
子を持つ親は、子育てに付き物の悩みや苦労を全部ひっくるめて、それでも子供は可愛いと言っているのだ。
だからそういう親は、裏の苦労を知らずに「子供は可愛い」などと言う女には、「お前に子育ての苦労がわかるか?」「可愛い可愛いって、ぬいぐるみじゃねんだぞ」という感情が沸いているのだ。
・・・というか俺には、そういう感情が沸いているのだ。
だから、うわべだけ、見た目だけで子供を可愛いといい、子供好きをやたらアピールする類の女の子は好きじゃない。
遊び半分で人の子を抱きたがる女の子も嫌いだ。
「お前に抱かせる理由は無い!」と、ケンシロウばりに言ってやりたい。
というわけで、女の子諸君!
気をつけよう!アピールがアピールにならないこともあるのだぞ!
母乳とミルク どっちがいいの? [育児]
育児において最も基本となる「母乳」と「ミルク」という違いは、単なる選択肢の違いでしかないのに、世間的な慣習で「母乳」が基本と言われ、そして皆がそう思ってしまっていることがどんだけくだらない問題を引き起こすか、という事例を紹介し、この「育児=母乳」という先入観、固定概念をぶち壊そうとするものだ。
皆さんはどうだろう?子供が生まれて数日後にまず人に言われるのは、「母乳は出たか?」「母乳飲んでるか?」ではないか?
実際自分もまわりからそう言われたし、自分自身も実は、子供が生まれて、まったく同じセリフを嫁さんに言った。そしてなんと嫁さんも生むまで母乳で育てる!という決心をしていた。
これは、つまり誰もが「育児=母乳」という先入観、固定概念を持っているという証拠だろう。
しかし、幸か不幸か、我が家はミルクで育てることになった。
その時の嫁さんの落胆ぶりといったら無かったし、やはり自分も仕方ないなぁと少し残念に思った。なぜならやっぱり「育児=母乳」という図式が頭にあったから。
しかし、ミルクで育てることになって自分でも色々と勉強し、初めて気づいたのが、上記のようなこと。つまり、「母乳」と「ミルク」という違いは、単なる選択肢の違いでしかないのに、世間がいかに「育児=母乳」という先入観、固定概念で動いているか、ということだ。
母乳で育てないことは、実は全然かわいそうでもないし、ミルクで育てることで子供の中の何かが欠落することもない。まったく無い。
なのにいったい何だろう?この「育児=母乳」という概念…。不思議だ。
この図式の先入観、固定概念を証明する自分の事例をもう少し詳しく紹介しよう。
会社で出産の報告をした時のことだ。
会社で親しい同僚、上司などが決まって口にした言葉がある。上記のような、「母乳は出たか?」「母乳飲んでるか?」的発言だ。母乳かミルクか何も聞かない人が大半だったが、母乳かミルクの話をした男女合わせて約5人が「育児=母乳」的な発言をし、さらに「うちはミルクだ」と答えると、全員が「え?ミルクなの?」と意外そうな顔をしたのだ。
ちなみにその5人は、全員独身だった。
中には育児経験もないのにどこで学んだか「子供はやっぱり母乳がいいよ」などと真面目な顔で語る輩もおり、そういうヤツには心で「お前に何がわかる!独身だろ!」とツッコミしてやった。
さらに嫁さんの父や婆さんまでも母乳!母乳!と言い出す始末。
うちの嫁さんは事情があってミルクとなったのだが、当然その当時は自分も母乳で育てたいと思っていたし、それが出来ないことに落ち込んでいたのに、周りはそんなこと考えないで、連呼するもんだから、彼女としてはどれだか傷ついたことか。。。
つまりこれは、人が完全に「育児=母乳」という先入観、固定概念を持っているとう証明にはならないだろうか?
しかしここでひとつ訂正したいのは、先入観、固定概念を持っているのは、全員ではなく、独身か年配者が多いということだ。
既婚者は、既に経験しているので、母乳でもミルクでも、どっちでもちゃんと育てられるし、母乳が出ずにミルクで育てざるを得ない人もいて、そんな人に母乳!母乳!と馬鹿の一つ覚えみたいに言うことがどんなに人を傷つけることかも知っているので、既婚者はこの「育児=母乳」という先入観、固定概念はお持ちでないことが多い。
つまり、独身は世の中の影響、年配者は、昔の古い慣習により、「育児=母乳」という図式を持っている人が多い。
さてそんなこともあって、母乳という先入観にとらわれずに、客観的にふたつの違いを考えてみて、「育児=母乳」ではないのだよ。2つは、ただの選択肢の違いであって、どちらかが優先ではなく、横並びなのだよ。ってことを書いてみたい。
2つの違いを明確にするには、メリットデメリットを考えてみるのが最も簡単だ。
◆母乳のメリット
いつでもどこでもすぐ飲ませられる(準備の早さ)
栄養素が高く、免疫力に優れている(と言われている)
◆ミルクのメリット
夫婦で育児を分担できる
どれくらい飲んだか把握が簡単
人に預けて外出できる
ビールもコーヒーも飲み放題
とまぁこんな感じか…。そしてデメリットはその逆。
どうでしょう?こうしてみると何も母乳を優先する理由は何も見つからないではないか?
そう思いませんか?
気になるのは栄養素の部分だが、この栄養素に関しては、今ではどの本、雑誌を読んでも母乳とミルクに違いはないと書かれている。
これは迷信ではないのか?確かに昔は違いもあっただろう。しかし今の世、その違いはほとんど無くなったと言ってもいい。
恐らくその昔の栄養素の違いという事実が今でも印象として残っているのではないか?
自分には、この「育児=母乳」の慣習については、そう考える以外に思いつかない。
ちなみに我が家はミルクであるが、やはり上記のメリットを最大限活用し、土日はほぼ父親が子供の面倒を見ているし、夜の授乳は、交代制だ。嫁さんが先日風邪をひいた時も、ずっと自分が子守をしていたし、朝は美味しくコーヒーを頂き、夜は二人で晩酌もしている。
どうだこの生活。母乳では絶対こうはいかないだろう。
何を迷うことがあろうか?今日、母乳でなければならない理由など無いと断言しよう!
今、妊娠中の人、そしてその旦那、これから孫が出来る爺婆、これから出産を迎える友人がいる人、全ての人にこの言葉を送ろう。
「「母乳」と「ミルク」という違いは、単なる選択肢の違いでしかない」
「ミルクで育てることで子供の中の何かが欠落することなど全くない」
「「育児=母乳」という図式は、単なる昔からの悪しき慣習で先入観、固定概念以外の何者でもない」
以上、反論求む。
ライラの冒険 ★★ [映画]
そもそも筋の通らない話って、ダメなんだよね。こうすればいいじゃん!とか、なぜこんなことするのか?とか、理不尽な展開に対して疑問ばかり浮かんできて、イライラしっぱなしだった。
ネタバレあり。
①あの鎧熊は、鎧を騙されて取られたって言うが、鎧を返さないと食い殺す!って脅して自分で取り返せただろ?なぜそうせず、ぐうたらしてたんだ?意味不明。
②ライラは羅針盤の読み方(記号の意味)をまったく知らなかったはず。適当に動かしてていつの間にか使えるようになってた・・・。なぜ彼女が羅針盤を使えるのか?そこが一番重要なポイントではないのか?いつの間にか使えるようになってて、誰もそのことに驚かない。意味不明。
③切り離した子供は親の元に返すのか?ビリーはなぜ山小屋に居たのか?逃げてきたのか?切り離したから、用が済んで捨てられたのか?誰もそのことに疑問を持たない。意味不明。
④コールター婦人がライラを学校から連れ出すのに誰も反対しないのはなぜだ?学寮長はアスリエル卿からライラを預かっている立場であるはずなのに、あっさりライラを手放すだけじゃなく、そのことをアスリエル卿に連絡もしない!んなわけあるか!意味不明。
⑤魔女たちが、なぜライラに味方するのかわからない。魔女の予言がどういうもので、それがライラの味方することに、どう繋がるのか全然わからなかった。意味不明。
まぁざっと羅列しただけでも意味不明なことばかり。ファンタジーだから細かいこと気にするな、と絶対に言い出すヤツがいるが、それはおかしい。
ファンタジーだろうが、実話だろうが、おかしいことはおかしい。人間の言動には必ず理由があって結果があれば原因がある。そういう因果関係をきちんと描けない人間は、映画でも小説でも漫画でも、人に何かを訴えることなどできないと思う。
終わり。
アメリカンギャングスター ★★★★ [映画]
全然長く感じなかった。
ネタバレあり。
デンゼルワシントンが正直あんまりギャングっぽくなくて、最初は彼が刑事かと思うほど、彼の人の良さが画面に出てしまっていた。あのトレーニングデイの名演技には及ばなかった。
ただ今回は、極悪非道なギャングではなく、家族思いで、庶民思いで、時には人を殺すこともあるが、基本的には紳士な役柄なので、意図的に悪さをこの程度に抑えたのかもしれない。彼ならそのくらいの調節は可能だろう。
なんといっても2年連続で人気俳優1位になっている彼だから、見ている方はかなりデンゼルワシントンに肩入れしてしまうところだが、今回の相手はラッセルクロウ。
ラッセルクロウなら彼を捕まえても許してやろう、そんな気分になる。いい配役だ。
内容はというと、とにかく麻薬が中心なのだが、こういう映画を見ていると麻薬が「悪」に思えなくなってくる。恐ろしいものであることを忘れてしまう。麻薬を元に金持ちになっていくデンゼルワシントンを応援してしまったりもする。
これは教育的社会的視点から考えてよくないよね~。
・・・なんて言うつもりはありません。娯楽だと思って見てるから!しかし不思議だ。
あと悪徳刑事の彼がストーリーに上手く絡んでる。彼の存在がストーリーに幅を持たせてる。
ただ全体的に怖さが無いよね。デンゼルワシントンの奥さんが襲われるようなシーンも、殺されちゃったら、すごい世界だなぁ、ギャングの世界は。とでも思うところだが、そういうギャングの抗争みたいなのはほとんど見られない。
どっかのボスとの絡みも出てくるけど、穏便な話で終わるしね。
そういう意味では、最後のアジト突入の緊迫感は凄かったけど、そこくらいしか緊迫感を感じるところは無かったね。
最初に密輸した麻薬が無事にアメリカに入ってくるところなんかも、もっとスリリングに演出した方が良かったし、あんなにあっさり密輸に成功しちゃ、演出的に勿体無いでしょ。
というわけで完璧ではないけど面白かったので★4つ。
スウィーニートッド ★★ [映画]
長く感じた。
完全ネタバレあり。
何が言いたいのかさっぱりの映画だった。ミュージカル&グロテスク映画を撮りたかったってだけなのか?
まぁティムバートンだからどうだとか、彼の過去の作品と比較してどうだとか、全然そういうのはどうでもよくて、ただ先入観なくひとつの映画として見て、誰にも感情移入できないし、中途半端だし、何より歌が全然楽しめない。
まず船乗りはナヨナヨして気持ち悪く何の魅力もないし、ストーリーへの絡み具合も別に重要度を感じない。こいつなしで違う話にもできたんじゃないか?一応歌ってるから重要人物扱いなんだろうけど、間が悪いし頭も悪いし、勘弁して欲しいコイツ。
また判事の悪さが中途半端でトッドが恨みを晴らすまでのやり取りに緊迫感もなく、何の駆け引きも工夫もないのが詰まらない。
思わず「頑張れトッド!」と応援してしまうような誘導もなく、この判事の悪事はさらっと描かれるだけ。
そしてトッドも無関係な人間をただひたすら殺す必要があると思えない。これじゃただの狂人で誰も感情移入できないよ。
だから最後のオチも可哀想に思えないし、かえって死んでくれてホッとした。
そして最も許せないのが歌だ。
歌が全然楽しくない。まぁこんな映画だから楽しくなくてもいいけど・・・。しかし全部似たような曲ばかりだし、何の盛り上がりもないし、心に染み入るような悲しい曲なわけでもなく、悔しさとか憎しみとか何も伝わってこない歌ばかり。
だから長く感じるんだ。こんな意味のない歌ばかり歌わせるなら、人物描写とか人間関係とか背景とか色々描くもんがあったんじゃないか?
これ見て「あーさすが、ティムバートンとジョニーデップのコンビだ」なんて思う人いるのかなぁ?いないだろうなぁ。もしいるとしたら、それは洗脳されてるとしか言えないよ。っていうか、ジョニーは置いておいて、監督があまりにヒドイ映画だった。
PASMOの罠 [どうでもいい話]
「ピンポーン!!」
それは突然の出来事だった。
自動改札のドアが閉まったのだ。
いつも利用している駅でのことだったので、不可思議に思いつつ、再度チャレンジ!
しかし、またしても「ピンポーン」の音。
俺は後ろから並ぶ帰宅途中の人の列に軽く頭を下げて脇にずれ、普段財布の中に入れている「PASMO兼定期券」を取り出した。
俺はそれを見て愕然とした!
定期が切れていた・・・。
何のことはない。機械は正しい判断をしていた。切れた定期を通すわけにはいかないのだ。
しかしその期限を見て、俺はまた驚いた。
3日前に切れていたのだ。
なぜ定期が切れていたのに3日間も気づかなかったのか・・・。そもそもなぜ3日前に切れた定期で通勤できていたのか?
そうだ!
チャージが2000円くらい入っていたのだ。
俺は定期が切れたことに気づかず、チャージされた2000円の中から、普通に切符代を払いながら、この3日間通勤していたのだ。
俺はぞっとした。
10000円くらいチャージしてあったら、10000円使い切るまで定期切れに気づかなかったのかもしれない。。。
そんな恐ろしい話があるだろうか??
結局のところ、PASMOは高性能であるがゆえに・・・、財布の中に入ったままで、直接PASMO自体を機械に触れさせなくとも読み取れる性能があるがゆえの現象だったのだ。
これは罠か?
誰かの陰謀か?
同じ被害者が出ないことを祈りつつ、このブログに記録する。
アイ・アム・レジェンド ★★★★ [映画]
思った以上に面白かった。特に前半部分のサムを追いかけて暗闇へ入るシーンは、今まで見たどの映画よりも怖かった。誰かがディセントを引きあいに出しているけど、全然比較にならない。
前半の面白さは、最近のどの映画よりも上をいっていると思う。
ネタバレあり
しかしあの2人の生存者が出てきてから、雰囲気が変わってしまった。出さないほうが良かったか、出すなら、2人の生存者との絡みをもっと増やした方がよかった。
そして、あの2人の生存者をもっと掘り下げた方がよかった。(神の意思だとか意味不明な言動を繰り返す時点で日本人は興ざめする)
生存者の村へ行ったところから、パート2を作るっていう話かと思ったら、そうしないところが、何か潔い気もするけど、もったいない気もする。最後が唐突過ぎる気がしたのはそのせいか?
後半一気にレベルが落ちる原因のもうひとつは、ダークシーカーの中にボスがいて、その知能がウィルスミスが思うのと反して意外に高いという点をもっとストーリーに絡めなかった点だ。
この伏線をいかさないと面白さが半減だ。せっかく罠にかかったシーンがあるのにそれを後につなげないのは全くもって遺憾だ。
あのボスが統制をとって、集団行動を行っているあたりは、「新たな生命体」であることを推測させるのだから、自分が「あいつらは完全に人間ではなくなった」という誤った判断していたことに気づくシーンを入れるべきだったと思う。
後半の脚本はやはりすったもんだの挙句にああなったと予想できる。誰が考えても後半から面白くなくなっていったから。本当に勿体無い映画だ。脚本をちょっと変えるだけでもっと観客を呼べる映画になっただろうに。
そうそう、中にはホラーならホラーだって教えてよ。心の準備ってものがある。という方もいるようですが、映画の予告ってのは、見る予定のない人を劇場に運ぶために作られていて、はじめからこの映画を見よう、と決めている人にとっては、余計なものであって、正直予告で内容をバラされることほど腹立たしいことはないというのが僕の考えです。
映画は中身を知り過ぎて見るより、この先どうなるのか知らないで見る方が絶対楽しいと思います。その方が絶対ドキドキしたりワクワクしたりできると思いますよ。
ボーン・アルティメイタム★★★★★ [映画]
この映画が優れているのは、逃げる主人公と追うCIAエージェントがどちらも有能で情報戦と物量作戦を丁寧に描いているから。
そして、ぶれるカメラもちゃんと状況説明可能なアングルを用意しており、アクションシーンが「何が行われて、どういう動きをしているのかが分かるようになっている点。
本当に素晴らしい。
見た際に「酔う」と表現する人もいるようだが、この絶妙なカメラワークとカット割りは、この監督の得意とするところなので、肌に合わないのなら諦めてもらうしかない。この撮影技法と超絶編集があればこそだ。
「1」作目は監督が違うので、印象も少々違っているのが、全く異なる映画に仕上げず、「1」作目の色を残しつつ、自分色に染めているこの監督は、とても才能あるのではないか?
ところで疑問がある。2作目の最後のシーンで、ボーンがCIAビルの向かいからパメラに電話をかけるシーンがあるが、この3作目もボーンが同じくCIAビルの向かいからパメラに電話をかけるシーンがある。どちらも同じシチュエーションで同じセリフだが、これは同じ時間・同じシーンを別の角度から見せていると思っていいのだろうか?
どうも腑に落ちないのは、2作目は、トンネルのカーチェイスの後、ロシアで娘に会いに行き、その後にボーンはCIAビルから電話をかけている。
3作目は、トンネルのカーチェイス直後のシーンから始まり、逃走後に「6週間後」のテロップが流れ、足を引きずっていたボーンもすっかり治った状態で物語は進んでいく。その後、色々すったもんだし、だいぶ経過してから電話をかけるシーンがある。
そう!2作目と3作目が同じシーンだとすると、2作目CIAビルの向かいからの電話シーンは、ロシアで娘に会った後、6週間以上後のシーンと解釈してよろしいのか?っていうか、ロシアで娘に会った時、もう足を引きずってなかったから、娘に会ったのが数週間後ってことか?
別に大した話じゃないのだが、2作目と3作目があまりに結びつきが強い映画だけに、その辺の関連性、時間軸がよくわからなくなった。
ちなみに、スプレマシーとは、「至高」。アルティメイタムとは、「最後通告」。アイデンティテーとは、「自己同一性」という意味だそうだ。
プレステージ ★★ [映画]
マジックに取り付かれる人間の行く末を描いた作品ということか?
最近は予告と実際の内容が異なっている所謂「ウソ予告」が流行っているので、見ると決めた映画の予告は、一切見ないように心がけている。そのせいか、予告で思っていたのと違う!という感想は持たなかった。
しかし時間軸をいじり過ぎていて、冒頭は何だかよくわからずに話しに入り込めたのは、中盤になってから。センスがいいとは思えないこの作り。
ネタバレあり
さて内容で最も気になった部分と言えば、やはり結び方のせいでアンジャーの奥さんが死んだ際、ボーデンが誠意を持って謝らなかったこと。
このせいで観客はずっとアンジャーの味方として展開を追ってしまう。ここは、監督の意図するところだったのか?だから自分も最後の終わり方には、全然納得できないのだ。確かにあの秘密からすれば、結んだのは片方と考えれば「覚えていない」のも理解できるが、見ている観客は、そんなこと知らないので、最後にそのことを結び付けたとしても、今更ボーデンの味方にはならない。
そもそもアンジャーの奥さんが死んだ原因が、二重結びにあったとして、ボーデンがなぜそんなに二重結びにこだわっていたのかについては、ちょっとしたセリフのやり取りがあるだけで、よくわからず、そのせいで死んだのが「故意」だったのか、事故だったのかも、観客にはイマイチよくわからない。
そういう説明不足も評価を下げる。
また正直オチが途中で分かってしまうので、だから最後のやりとりは、全くもって想像通りで何の驚きも無かった。評価を下げたのはその2点。
①ボーデンを好きになれないことと②オチが途中でわかってしまうこと。
ちなみにボーデンの逮捕の理由がイマイチ明確になっていのも気になる。ただ水槽を見ていたわけではなく、救出を試みていたことは目撃者からわかるはず。彼が落下箇所に水槽を置いた証拠もない。
なぜ死刑判決となったのか経緯が省略され、観客は「死刑」という前提から物語に無理矢理放り込まれるが、その死刑に疑問を持つ観客がいたとしたら、そもそも冒頭から物語に入り込めない可能性があるのではないか?
考え出すとそういう気になる箇所が複数あって、観客をただ驚かしたかったのだとしたら失敗しているし、もっと違う何かを訴えたかったのだとしても、脚本の段階で違和感が拭えていない。残念な作品だ。






